性の嫌悪
「性」とは、奇妙なサガだ。
いつからかわからないけど、女性の”性”に、まとわりつくような嫌悪感を抱いていた。
小学生の頃の水泳の時間は、地獄に等しい。
ただでさえ泳げないのに、教室で男女仲良く”お着替えの時間”が用意されている。
私自身が、”女性”としてみられることに、得体の知れない気持ち悪さを感じていた。
父と妹と、アスレチックで遊んでいた日のこと。
木にあたる私の胸に、何か違和感があった。
・・・何かお皿のようなものが入っている感覚・・・。
まさか、胸が大きくなるのではなかろうか。
楽しい気分に、影を落としたような嫌悪感。
そんなことを父や妹に言えるはずもなく、色褪せた帰り道を、猛スピードで走り去る車の中が、まるで私の気持ちを表しているようで・・・後戻りできないさみしさが、複雑だったものだ。
それから毎日、私はお風呂に入るたびに、神様に祈った。
「胸が大きくなりませんように・・・」
その願いが叶ったのか、完成された、まな板の胸を備えている。
あの時の嫌悪感は、性の体験とともに薄れてきてはいるが、まだ”根”はあるようだ。
それが悪いものだと思っていたが、もしかしたら、人間そのものに慣れていなかったのかもしれないと思う、私なのであった。