まめ子の独白

どん底から這い上がり続けた日々を振り返っています

ガンの母との対面

病院で実際に

母をみるまで

ちょっとドキドキだった私ですが  

 

思ったより元気そうな母に、

安心しました。    

 

妹曰く・・・  

 

私が来る直前までが、

一番つらくて大変だったらしい。

 

寝たきりで

酸素マスクつけっぱなしだったんだよと。     

 

私が行った時には、

座ったりできてたので

そういう姿はみていないのですが    

 

この時、母はめいっぱい

今まで通りの自分で接してた気がします。    

 

本当によく笑ってました。    

 

ちなみに、貯金はないし

保険にもほぼ入ってなかったので

(共済保険がひとつだけ)  

 

入院費を払うアテもない感じでした。    

 

父はその時、会社は忙しくて

残業ができる環境だったらしんですが    

 

全部ことわって、母の病院に

毎日通っていたそうです。    

 

母からすると  

 

「残業しなさいよ!!」  

「こなくていいから!」    

 

だったんですが    

 

来たいから来てるだけだよ

 

と言って、笑ってたそうです。      

 

余命がわかってたので

少しでも一緒にいたいと思ってたのか・・・    

 

カタチだけでバラバラだった家族が

母の病気をきっかけに

つながり始めた感じがしました。    

 

母は、自分がガンであることを

わかってたどころか

毎日寝る前に願っていたそうです。    

 

早く死にたいと。    

 

だから、

ようやくその時期が来たんだと

悟ったらしく

生きることへの執着がありませんでした。    

 

ただ、今生かされてることが

どれだけありがたいかを痛感したようで    

 

弱音をはいたりすることはまったくなく

ずっと冗談言ったりして笑ったり

感謝を伝えてくれるようになりました。      

 

私は、数日地元に滞在し

東京に戻ったのですが    

 

帰り際、    

 

「少なくてごめんね・・・」    

 

と、1万円を渡してきました。    

 

入院費もままならないのに

そんな大金、

何を考えてるのか!?!?

と思いましたが    

 

どうしても受け取ってほしい

と言って聞きません。    

 

お金を渡してくれることは

ほとんどなかったので

驚くと同時に  

 

親の愛を感じて

泣きそうになりました。    

 

ありがたく受け取って、

いったん、東京に戻ります。    

 

 

数ヶ月後、母の手術に付き添うため

1ヶ月くらい予定をあけて

地元に帰ることにしました。