まめ子の独白

どん底から這い上がり続けた日々を振り返っています

離婚

前回は、実家に強制送還されたところまででした。

 

精神病の症状がで始めてから

オンラインゲームもできなくなってきはじめました。

 

 

モテ期(といってもゲームの中)

だと思ってた人たちは

 

思い通りにならないと豹変し、

ストーカーになったり

悪口を言うようになりました。

 

 

実家には

ゲームを持ち帰ることはせず

着の身着のまま戻ってきたのですが

 

 

 

実家での私はというと

ほぼ24時間、泣きっぱなしの私。

 

 

過呼吸になったり。

動悸もバクバク。

30度超えてるのに、

寒い寒いと毛布をかぶる私。  

 

親がどうこうとか、

言ってられる精神状態じゃなく    

 

 

実家に帰って、

症状が悪化することはなかったですが

常に誰かが一緒にいるような状態でした。    

 

それでも、私は

「離婚はしてはならない」

と固く思い込んでおり    

 

夫ともメールで連絡を取り合っていました。

(メールがくるたびに吐き気)    

 

私はこの頃までは、

親のことは

正直恨んでました。

 

愛されてないと思っていました。    

 

 

 

そんな私が

取り繕うこともできないほど

ボロボロになった時に

初めて、親の愛をハッキリと感じたんです。

 

 

普通のことだとは思いますが

私の好きな食事を作ってくれたり 

優しい言葉をかけてくれたり・・・

 

ビックリしたのを覚えています。  

 

私が離婚を決めたのは

いつもは寡黙

(しかも離婚には反対しそう)な父が

 

「もういいよ」

 

「別れなよ」

 

と言ってくれたことです。

 

さらに、母も

私と同じ過呼吸の症状が出始めました。

 

 

「代わってあげたい」

 

その一心で私と接するうちに、

症状が移り始めたんです。    

 

 

父も母も

こう言っていました。

 

「あんたは自分のことしか考えんでもええんよ」    

 

・・なにかが崩れ落ちました。    

 

 

こうして私は、

離婚をすることを決め

元旦那に頑張って会って、説得。

(彼は絶対に別れたくなかったのです)    

 

ものすごいいろいろありすぎて

書ききれない感じですが    

 

精神病の症状が出なくなったのは

離婚後、1年くらいたってからのような気がします。    

 

でも、恋愛依存症は治りませんでした。  

 

 

 

離婚と同時に、

話していた好きな人と付き合い始めました。

 

すぐに付き合うのは

いかがなものかと思う自分もいましたが

とにかく、自分の気持ちを優先させました。

 

彼と話しているときは

症状が落ち着き、笑顔になることができたのです。

 

 

結局、願いは叶ったわけですね。。

 

 

離婚後、3ヶ月くらいして

転地療法も兼ねて

 

彼氏のいる東京に引っ越すことになったのです。  

 

両親も、

私のため、転地療法なんだからと

送り出してくれたんです。    

 

 

まだつづく・・・!