まめ子の独白

どん底から這い上がり続けた日々を振り返っています

やめると決めた時。

つい先日、

長らく師事してた

師匠のグループを退会した。

 

 

それはそれは・・・

怖かった。

 

 

 

退会するということは

 

 

次元上昇しない

残留組であり

(という印象がある)

 

後々

 

あの人ダメだったねと

 

批判、揶揄される対象に

なることであり

 

 

 

それが嫌だから

頑張って続けてたのも

 

今思えば大きい。

 

 

 

 

でも、

 

頑張らないと

続けていけないのは

 

 

何か違うんじゃないか。

 

 

 

次元上昇しようが

するまいが

 

 

今がしあわせで

充実したものであれば

 

 

それでいいんじゃないか・・・

 

 

 

どちらも苦しいんだったら

 

 

なんのしがらみも

なくなったときに

 

どうしたいのか。

 

 

 

 

もう、そのこたえに

抗えなくなった。

 

 

 

誰のせいでもない。

 

 

 

でも、

この苦行は

終わらせたい。

 

 

 

それは

逃げになるのかもしれないけど

 

 

そう思われても

構わない・・・

 

 

 

 

なんでそこまでして

苦しい思いをするのか?

 

 

友人から

問いかけられた時、

 

すべてが

崩れ去った。

 

 

 

ここから先は

自分で道を切り開く時だ。

 

 

 

何が正解でもない。

 

 

自分が決めるだけだったんだな。

ガン、消滅。

母のガンが発覚して、

1ヶ月ちょっとで

抗がん剤治療が始まりました。    

 

帰省した時に

抗がん剤治療を始めたのですが

まだふさふさしていた

母の髪を洗ったのをはっきり覚えています。    

 

母は、何かをしてもらったり

誰かに頼んだりするのを

とても嫌がるタイプなのですが    

 

自分から、

「洗ってよ」と言ってきて

ビックリしたのを覚えています。    

 

それから数ヶ月して、

母の髪はすべてぬけ落ちました。

(カツラをかぶってました。)    

 

女性の場合は、

抗がん剤をやめると

また生えてくることがほとんどらしく

 

今は、母の髪は復活しています。    

 

よくある抗がん剤の副作用ですが

母は、髪の毛が抜ける以外の副作用が

ほぼありませんでした。    

 

お医者さんもびっくりです。    

 

 

 

そして、手術をする前に

ほとんどのガンが

消え去っていました。

 

 

約半年後、

先生の勧めで手術をすることになり

立ち会いましたが

 

綺麗なピンク色の子宮に

ガンの死骸がくっついていました。

 

ガンは

なくなっていたのです。

 

 

母の具合も、

 

背中にさしていた麻酔の吐き気はなく

さらに、翌朝には麻酔の針を抜き

(めっちゃくちゃ痛いらしいです・・・)

 

 

あっけらかんとしている母をみていると

いろんな価値観が崩壊していくようでした。  

 

「手術したんだから痛いのは当たり前」  

 

かっこよかったなあ・・・。     

 

あれから、抗がん剤の投与も

お医者さんと言い合いしながら

数回は続けて、

あとは自分の意思で、やめました。    

 

 

今もピンピンしています。

(むしろ血糖値の数値が危ない・・・)    

 

 

母曰く、

私が手術で帰省した時、

毎日病院に行って

母と話をしてたんですが    

 

 

 

私が何年か前に

 

「お母さんはガンでは死なないと思う」    

 

と言ったのをすごく覚えていて

 

(私は覚えてない^^;)

 

どうやらそれが、

希望のひとつにもなっていたようです。    

 

あとは、毎日笑っていました。  

 

自分の病状よりも

看護師さんの恋愛の心配をしてました。    

 

噂話大好きな母らしいですが

自分のことばかり考えていたら  

 

今の現実はなかったんじゃないかと思います。  

 

 

 

 

子どもの頃の、

母から受けたひどい記憶は  

 

母の苦しみを、想像以上に

感じていたのもあるんだろうと思います。

(昔からそういう体質でした。

エンパスというらしいです)    

 

「今は、過去に影響を与える」と

最近の科学でも実証されてきたそうです。    

 

過去苦しかったから、

ひどい目にあったから

今が幸せじゃないっていう見方もありますが    

 

今が幸せじゃないから

幸せじゃない過去に結びついている

とも言える気がします。    

 

幸せになるってどういうことかを

すごく考えました。  

 

意固地になって、

幸せじゃないと言いたかった私が

ずっといたことに気がつきました。    

 

 

自分の過去、そして今のしあわせが

確実にリンクしてたことに気がついたのでした。

ガンの母との対面

病院で実際に

母をみるまで

ちょっとドキドキだった私ですが  

 

思ったより元気そうな母に、

安心しました。    

 

妹曰く・・・  

 

私が来る直前までが、

一番つらくて大変だったらしい。

 

寝たきりで

酸素マスクつけっぱなしだったんだよと。     

 

私が行った時には、

座ったりできてたので

そういう姿はみていないのですが    

 

この時、母はめいっぱい

今まで通りの自分で接してた気がします。    

 

本当によく笑ってました。    

 

ちなみに、貯金はないし

保険にもほぼ入ってなかったので

(共済保険がひとつだけ)  

 

入院費を払うアテもない感じでした。    

 

父はその時、会社は忙しくて

残業ができる環境だったらしんですが    

 

全部ことわって、母の病院に

毎日通っていたそうです。    

 

母からすると  

 

「残業しなさいよ!!」  

「こなくていいから!」    

 

だったんですが    

 

来たいから来てるだけだよ

 

と言って、笑ってたそうです。      

 

余命がわかってたので

少しでも一緒にいたいと思ってたのか・・・    

 

カタチだけでバラバラだった家族が

母の病気をきっかけに

つながり始めた感じがしました。    

 

母は、自分がガンであることを

わかってたどころか

毎日寝る前に願っていたそうです。    

 

早く死にたいと。    

 

だから、

ようやくその時期が来たんだと

悟ったらしく

生きることへの執着がありませんでした。    

 

ただ、今生かされてることが

どれだけありがたいかを痛感したようで    

 

弱音をはいたりすることはまったくなく

ずっと冗談言ったりして笑ったり

感謝を伝えてくれるようになりました。      

 

私は、数日地元に滞在し

東京に戻ったのですが    

 

帰り際、    

 

「少なくてごめんね・・・」    

 

と、1万円を渡してきました。    

 

入院費もままならないのに

そんな大金、

何を考えてるのか!?!?

と思いましたが    

 

どうしても受け取ってほしい

と言って聞きません。    

 

お金を渡してくれることは

ほとんどなかったので

驚くと同時に  

 

親の愛を感じて

泣きそうになりました。    

 

ありがたく受け取って、

いったん、東京に戻ります。    

 

 

数ヶ月後、母の手術に付き添うため

1ヶ月くらい予定をあけて

地元に帰ることにしました。

母の末期ガン発覚

私の母は、

いつも元気が取り柄でしたが

7年前、子宮体がんが発覚しました。    

 

 

もうずいぶんと

不正出血が続いてたらしいですが

 

病院にいったら

面倒なことになると

知らないふりをし続けた結果、  

 

 

子宮からの出血があまりにひどく

貧血状態になり

完全に、動けなくなりました。    

 

そこで初めて、病院へ。    

 

即入院です。  

 

病院側も、 もうこれはがんですね、

わかってますよね、

みたいな対応だったそうです。^^;    

 

 

気づいた時には

子宮だけでなく、

肺、肝臓、リンパにまで

転移していて  

 

お医者さんは、父を呼び出し

余命半年を告げました。

(母には余命のことは話してません)      

 

 

私が、母のがんを知ったのは

入院してから1ヶ月くらいたってから。    

 

 

東京にいて離れてるし

迷惑をかけたくないから

言わなくていい、と言ってたそうで・・・。    

 

 

入院生活を送るうち

エコノミークラス症候群にかかってしまい

重度の肺塞栓に。  

 

すぐに手術が必要とのことで

ようやく私にも連絡が来た感じだったと思います。    

 

父と妹から電話で伝えられたときのこと、

今でも覚えてます。  

 

母とも話しましたが  

「大丈夫だから」  

「あんた忙しいんだから  

無理して帰らなくていいからね」  

 

そんなことを言われたのを覚えてます。      

 

 

商店街を歩いてましたが

周りの雑踏がどんどん遠くなり    

ただただ、呆然と立ち尽くしてました。    

 

 

元気でいるのが

当たり前に思ってたので・・・

突然の連絡に 想像以上のショックでした。    

 

 

それから、入院中の母(個室です)から

夜な夜な電話がかかってくるようになりました。    

 

「何か楽しい話をして?」    

 

せつなすぎて、

泣きそうになるのをこらえながら

どうでもいい話をたくさんした気がします。  

 

不安で押しつぶされそうになったんだろうな・・・    

 

数日後、仕事の調整もできたので

地元に帰り、父の迎えで病院へ直行すると    

 

病室のベッドにちょこんと座って

嬉しそうに笑う 母の姿がありました。

 

つづく

絶縁

 

 

晴れて(?)

夫と付き合うことになった私。  

 

 

告白してくれた彼氏さんに、  

 

・夫と付き合うことになったこと

・気持ちにはこたえられないこと  

 

そんな感じのことを伝えました。  

 

 

このことは、元奥さんには

話さない方がいいねと

 

ふたりのあいだでの

秘密にしようと話し、     

 

 

そして・・・

 

もう連絡を取ることはないけど

しあわせを心から願っている

とのメールを最後に

 

彼とは連絡を取っていませんが・・・      

 

 

その数日後だったか、

元奥さんから連絡がありました。    

 

 

彼と、よりを戻したと・・・    

 

 

そして、全部聞いたよ・・・と。。

(彼氏さんの私への気持ちのことです)    

 

 

その上で、よりを戻すことにしたよと。。    

 

 

もう、話したのか。。。 

 

 

元奥さんの彼は

一体何をしたかったのかと

疑問がいっぱいでしたが

 

 

ツッコむ気にもならず。。  

 

きっと、隠し事が

できなかったんだろうな。。

 

ありのままを

話したくなったんだろうな。。  

 

想像するしかできませんが。。    

 

 

結局、私と元奥さんは

おたがいに応援する気持ちに

なれない感じで    

 

それきり連絡を取っていません。    

 

 

 

 

関係を修復したい気持ちは

少しありましたが

 

 

夫を悪く言ってたことや

彼氏さんもよくわからないので

私もどう接したらいいかわからないのが

正直なところでした。      

 

 

 

どうしても気になるので

結婚、妊娠のことを

報告するメールを送りましたが

 

元奥さんは

あてつけのようで

ものすごく嫌だったと

後で知りました。

(デリカシーなかったな。。)

 

 

ふとしたきっかけに

気づいてしまったのですが、

Facebookをブロックされてました。  

 

 

共通の友達たちに

私の悪口を言われてたのも

知りました。

(それもすごいショック)    

 

ブロックされるのって

意外にダメージ大きいですね・・・    

 

 

でも、そうする気持ちも

わかる気がします。

 

 

今回のことは 仕方ないというか

私が撒いた種で、反省点いっぱいだし  

 

全員に祝福してもらえる関係なんて

きっとないと思うので

 

そのあたりの勉強にもなりました。

付き合うまでに

私が元奥さんに

夫との関係を

打ち明けようとしたと同時に  

 

元奥さんの心の支えである

彼氏さんが

別れを考えていることを

知ってしまい。。    

 

 

私の話は脇に置いて

彼氏さんの恋愛相談に

乗ってしまったんです。    

 

 

元奥さんへのフォローは

してくれると話してくれたので

意を決して打ち明けます。

 

 

元奥さんは、案の定

すごくショックを受けていて  

 

「よりによって、なんで!?」

「絶対に、しあわせになれないよ」  

 

「理解できない」

「応援できない」

「気持ち悪い」  

 

みたいなことを言われた気がします。    

 

 

私はそうは思えなくて

そんなことないと思ってるよと

伝えてた気がします。    

 

 

その直後だったか・・・    

 

例の彼氏さんは、

元奥さんに別れを告げました。    

 

 

元奥さんは、

私のことも

彼氏さんのことも

両方を失ったと話していて

かなり落ち込んだと思います。。    

 

よりを戻すために

努力すると決めて

頑張っていました。    

 

 

そして約1ヶ月・・・

 

私の引越し日が近づいた頃  

元奥さんと別れた彼から

連絡がありました。  

 

伝えたいことがあると。。    

 

 

まさかの、告白されてしまいます。。    

 

 

私は、、、  

 

嫌われないようにいい顔をし続け  

 

好かれたい、愛されたいが

だだ漏れした結果  

 

めちゃくちゃややこしい現実を

引き寄せてしまいました。。    

 

しかも、 彼の真剣さが伝わってきて

即答できず、 しばらく考えてみると返答・・・   

 

 

彼は、どんなことがあっても

私を守ると伝えてくれましたが  

 

どれだけ敵を増やすことになるか・・・

 

それを超えてまで

彼と一緒にいたいと思うか・・・?

 

 

当時の私も

自分を見失ってました。  

 

一瞬、グラついたんです。  

 

私の気持ちは、

今の夫にしか

向けられていないことが

逆によくわかりました。   

 

今思えば、

深刻になって悩みたかったわけで

かわいそうな自分を演じてたんですね。。    

 

 

どうしよう・・・と

(どうしようもこうしようもないんですが)  

 

頭を抱えている姿をみた夫が    

 

「・・・おれとつきあう?」    

 

と、言ってきたんです。

これまた、まさかの。      

 

 

本気で言ってるのか!?と

何度も確認しましたが  

 

どうやら本当のようで  

 

そこで、付き合うことに、なりました。。    

 

 

「これで断れるでしょ?」    

 

 

と、夫は言ってましたね・・・

 

やさしいのか、同情なのか・・・    

 

 

その後も衝突はありましたが

なんだかんだで楽しく付き合って

 

 

妊娠をきっかけに

結婚しました。  

 

 

 

最近、当時のことを

夫と少し話す機会がありましたが  

 

夫も悩んでたそうです。  

 

同情で付き合い始めたと

断言していました(笑)    

 

 

薄々わかってはいたけど

ショック!!

 

いま、しあわせだから

いいんですけどね・・・

 

 

その後については

また後日書きます。

打ち明ける

話の続きです。    

 

 

引越しを決め、仕事を決めた私。    

 

 

引越し日まで、

1ヶ月近くあります。  

 

そのあいだも

怯える家にいたくありません。    

 

 

ダメ元で

夫に御願いしてみることにしました。  

家の事情を話した上で    

 

「引越しが終わるまで  

居候させてもらないでしょうか?」    

 

夫のこたえは、OKでした。  

(同情したというか、

放っておけなかったそうで・・・)  

 

めちゃくちゃありがたくて

拍子抜けしました。      

 

1ヶ月間、1Kの彼のアパートで

同居生活をすることとなります。    

 

張り切って

家事とかやりましたが

今思うと、

彼はけむたがってましたね^^;    

 

 

彼女面してるようなもんですからね・・・    

 

 

ただの居候ですから・・・      

 

 

そして、元奥さんに

今の関係のことを

伝えることを決意します。    

 

 

隣人問題も知っていて、

心配もしてくれていたからです。    

 

 

想像するに、

元奥さんはドン引きしそう・・・  

 

ショックも受けるだろうな・・・

 

 

元奥さんの現彼氏さんとも

友達になっていたので

 

先に、彼氏さんに

今の事情を話して

元奥さんのフォローを

お願いすることにしました。    

 

 

そしたら・・・    

 

 

 

面倒なことに・・・・      

 

 

 

私が事情を話すと同時に

彼氏さんのほうから  

 

 

「元奥さんと別れようかと悩んでる」    

 

 

と、言われてしまったんです・・・ 

 

 

つづく